今回は「禁酒法とは何か?」ということを説明した上で、禁酒法がコーヒー業界に与えた影響についてお伝えさせていただければと思います。
禁酒法とコーヒーとは、一見無関係と思われる両者ですが、コーヒーとアルコールというのは歴史的に見て競争関係にありました。両者の関係を見ていくと、コーヒーがジュースなどの飲み物というより、アルコールに近いカテゴリーの飲み物であるという認識を持ちます。
コーヒーという不思議な飲み物の存在が明確になることで、さらに、カフェで飲むコーヒーに対するスタンスが変わってくるかと思います。
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禁酒法とは
アメリカ合衆国で1920年から1933年まで禁酒法は、憲法修正第18条下において施行されていました。
「禁酒法」と聞くと、一見お酒を飲むのが禁止された法律に思えますが、実は違います。厳密に言うと「酒類を飲用目的で製造、販売、運搬、輸出、輸入すること」が禁止されたのです。
つまり、お酒を飲むこと自体は違法にならず、アルコール飲料を製造したり販売したりするのが禁止された法律だったのです。政府に隠れてこっそり作られたお酒は飲む分には、違法ではなかったのです。
youtubeで違法にアップロードした人は罪に問われるが、見る側に法的な問題はないということに近いニュアンスを感じます。
禁酒法を実施した背景
禁酒法を実施された背景には禁酒運動と第一次世界大戦があります。まずは、禁酒運動が起きた背景から説明させていただきます。
禁酒運動が起きたきっかけ
1820年頃はウイスキーの生産拡大につれ、アメリカのアルコールの消費量は高まり「飲んだくれの共和国」と呼ばれる程になっていきました。
一方の世は産業革命がはじまり、機械化がすすんでいました。労働者が週末に飲みすぎて、仕事効率は上がらない上に、事故も起きやすいという状況は企業家たちにとっては見過ごせない状況でした。
そこで、労働者にお酒を控えさせて仕事の生産性を上げたいと考えた資本家たちは、各地に禁酒組織を結成し、禁酒運動をはじめました。
拍車をかけた第一次世界大戦
禁酒運動を後押ししたのは、戦争でした。戦争が始まると禁欲的な傾向が強まります。日本で言えば太平洋戦争時には質素倹約が推進され、米もろくに食べれない状況でした。「ほしがりません勝つまでは」という標語は聞き覚えがあると思います。
第一次世界大戦中のアメリカでも、食料となるべき穀物でアルコールを作るのはいかがなものか?という風潮が流れました。また、ドイツと対立する中、醸造業者のほとんどがドイツ市民であったことも、禁酒運動に拍車をかけました。
そして、1920年より禁酒法は施行されるのに至ったのでした。
禁酒法の結果
禁酒法によって、正規の業者がお酒を販売できなくなる一方で、ギャングなど違法に闇酒を販売しておりました。アルコールの価格は上昇し、低賃金の労働者はアルコールが飲めなくなる一方で、上・中流階級の人間はお酒が飲むことができたと言います。
犯罪者が巨万の富を築き、そして、飲める人間と飲めない人間がいるという不平等な状況が起きているという問題が次第に表面化していき、1933年に禁酒法は廃止されました。
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コーヒー業界に与えた影響
コーヒーとお酒とは歴史的に見ると、大変な競争関係にありました。ですので。禁酒法が成立にあたっては世界中のコーヒー生産者と焙煎業者の間で期待が高まったと言われています。禁酒法はコーヒー業界によい影響を与えたのでしょうか。
実際に伸びた消費量!
禁酒法の成立によって、国民の飲酒量はほぼ半減しました。それに取って代わるようにコーヒーの消費量は伸びていきました。酒好きで以前はコーヒーを口にしなかった人が日常的にコーヒーを飲むようになったと言います。また、禁酒法以前はコーヒーを一杯飲んでいた人が、二杯飲むようになった話もあります。
アメリカのブラジルからのコーヒー輸入は1913年はおよそ650万袋でしたが、1923年には1100万袋にもなったと言います。もちろん、他にも様々な要因が絡んでいるとは思いますが、コーヒーの消費量の増加には禁酒法の影響が大きいことは言わずもがなでしょう。
酒場は減り、コーヒーを提供する店が増えた
禁酒法の成立によって、多くの酒場は姿を消しました。一方、コーヒーを提供する場所であるカフェや軽食堂がその存在とって代わり、数を増やしていきました。
また、コーヒーの積極的な宣伝活動もあって、1920年代を通じてアメリカの主要都市には多くのコーヒー・ハウスが開店することとなりました。
禁酒法がコーヒー業界に与えた影響は大きいです。そのことから、アルコールとコーヒーというのはある種、近い存在なのだということがわかります。コーヒーの歴史を知ることで、コーヒーという存在が明確になり、より楽しいコーヒーライフが過ごせる気がします。コーヒーの歴史を学ぶのは有益で、楽しいことだと思います。
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