松田公太さんはタリーズコーヒージャパン創業者です。
そんな松田さんが銀行員を辞めて、経営経験なし、コネなし、資本金もなしの状態から、圧倒的な熱量と行動力を武器にタリーズ設立にこぎつける過程はまさにスペクタクル!
タリーズが日本で設立されるまでの過程を知ればきっとより楽しい「タリーズライフ」を送れると思います!
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タリーズを始めるきっかけ~コーヒーなんてなくても困らない存在だった~
1995年12月。27歳、銀行員である松田公太さん。彼は友人の結婚式に参加するため、ボストンを訪れました。
その際、時間潰しのために寄った市場でスペシャリティコーヒーの店に並ぶアメリカ人の列を見かました。当時の松田さんからすると「コーヒーごとき」を買うのにアメリカ人が行列を作るなんて考えられなかったそうです。
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試しに並んではみたものの、コーヒー1杯3ドルという値段を見て「スペシャリティコーヒーという聞き覚えないコーヒーがいくら高品質でもこの値段は納得いかない」というように感じたそうです。
しかし、実際飲んでみると「おいしい!」と感動。そのコーヒーに衝撃を受けてから、4ヶ月後には、いてもたってもいられなくなりスペシャリティコーヒー発祥の地シアトルへ行きます。行動が速いです!
松田さんは、シアトルでタリーズというコーヒーショップに出会いました。コーヒーの味や内装やロゴに感動した松田さんは、店員さんに「タリーズ本社に連絡してくれ!」と言ったそうです。松田さんは「タリーズを日本でやりたい!」と思ってタリーズの会長のトム・オキーフを呼び出そうとしたのです。
タリーズは地元シアトルに20店舗構える人気店。当然、会長に電話はつながりませんでした。しかし、その行動力の高さには脱帽です。
元々松田さんは全くコーヒー通でもなく、コーヒーなんて人生になくても困らない存在と思っていました。にも関わらず、コーヒーに感動した4ヶ月後にはシアトルに行き、タリーズの会長に直談判して日本に店をオープンしようとしたのです。
松田さんの行動力はそれだけに留まらず、加速度は増していきます。
ホームページにメールを送りまくる!決まってないのに6年勤めた銀行を退職
シアトルから日本に戻ってからの松田さんの生活は変わりました。銀行の仕事が終わって自宅に戻った後、深夜パソコンに向かい合い、タリーズにEメールを送り続けるという日々が始まったのです。
メールは自己紹介に始まり、タリーズが日本に進出した場合を想定して、自分なりのビジネス論を展開したそうです。日本全体の喫茶店数、売上高の推移、というデータも書き込んだレポートも送付。
しかも、つてがあったとかいうのではなく単にタリーズのホームページに載っているアドレスに送り続けていたのです。
そして、メールを送り続けても、なかなかよい反応を得られない最中、なんと6年間勤めていた銀行をやめてしまったのです。別に、タリーズと契約ができるという目処が立った訳ではないのに。松田さんいわく
「タリーズで起業したい」という私の思いは日増しに強まってくる。もはや進みべき道が決まった以上、銀行員を続けても仕方がなかった
引用:『すべては一杯のコーヒーから』著松田公太(新潮社)
僕がもし松田さんの友人だったら「銀行員続けた方がいいよ!というか、せめて契約してから辞めた方がいいんじゃない?」という保守的なアドバイスを送っていたかもしれません。すごい情熱ですね。
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会長のプランにダメ出し!情熱で大企業に勝る
タリーズにメールを送る日々は続けていた最中、銀座にスターバックスの1号店がオープンしました。松田さんにとっては自分が最初にスペシャリティコーヒーを日本に伝えたいと思っていたのに、先を越されてしまい悔しかったそうです。
もはやのんびりできないと思い、松田さんは意を決してタリーズの本社に国際電話をかけ、会長のトム・オキーフを呼び出してもらいました。すると「会長は東京の帝国ホテルにいる」ということを教えてもらうことができたのです。
そして、帝国ホテルに電話して、会長に電話を繋いでもらう松田さん。そして、会長に電話がつながり、会いたいとお願いしたところ「いいでしょう」という返事が!遂に松田さんはタリーズ会長と会うことになり、寿司を一緒に食べることになります。
食事の席で、松田さんは会長に「タリーズの素晴らしい味を自分の手で日本に伝えたい!」と告げたところ、会長は「もう既に複数の日本企業ともう話しをすすめている」ということを松田さんに伝えました。しかも話しをすすめているのは、大企業。松田さんのような個人ではありません。
普通ならここで心が折れてしまうところ。しかし、会長が話す出店プランに対してなんと松田さんは「それは間違いです!」とはっきりと否定。
それじゃ日本では流行らないという理論と、自分なりのアイディアを情熱を持って語りかけました。出店計画を進めているのは大手企業、対する松田さんは経営者の経験もなく資金もない人間。それでも情熱を伝え続けました。
それをきっかけに松田さんと会長は打ち解けていき、そしてタリーズを日本でオープンするに至ったのです。店をオープンする際、松田さんは7000万もの借金を負いました。
そうやって生まれたタリーズは現在、全国に600店舗以上の軒を連ねます。
まとめ
特別なコネがあった訳でもなく、実績があった訳でもなく、資本金もない。ないない尽くしの状況で、行動力と情熱を武器にタリーズを日本に広めることができたのというのは本当にすごいです!
こういったストーリーを想像しながらタリーズで過ごすと、少し違う「タリーズライフ」が過ごせるかもしれません。
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